2023年07月03日(月曜日)
富士山に登る
一行百名肅々として三德偈登攀
最頂上に於ける聖壽奉頌擧行
(前略)富士に對して深刻な理想を以て迎へたといふのは、恐らく聖德太子以後日蓮聖人が富士に登って、自筆の法華經を此の山に埋めて未來の本門戒壇の靈地たることを祝福し、彼の蒙古襲來の事變の動きはじめに當って、遠く世界的將來を達觀して他日世界統一の大靈鎭が日本に建つべきものである、其の靈地は必ず此の富士でなければならぬといふ理想を抱いて登山せられたことゝ、それから其の後に純乎たる理想を以て富士を諷詠したといふ詩人も歌人も餘りない、
明治天皇が富士を詠じたまへる御製は、たしかに一般詩人文人などの類を絶した極めて高尚な、且つ深刻な御觀察によられたことは、彼の『萬代の國の鎭め』と仰せられた御製によって拜し奉ることが出來る。
(中略)此の理想的觀察が我々願業生活者にとっては、逸すべからざる考へであるから、そこで前年三保の松原を撰んで、此の富士に正對する觀望を以て敎育の道場を造ったといふのも、此の點から來って居るのである、朝に晩に此の山を見て、此の山の將來から國運の將來、及び世界の將來を運命的に觀察する時、無限の理想が油然として湧いて來る、先づ神秘的觀察といっていゝ、又爾觀察するのが富士の當然の運命であるのだ。
サテさうなったところで、斯の如き絶勝の名地に見物といふ意味でなく、一ぺんは登って見たいといふ考へも起らないではない、一般登山者の考へるやうな登山とは違ふけれども、さういふ靈山であるから此の靈山に於いて、其の靈山に相應するところの靈的行動をとりたい、斯ういふ考へがあったので一ぺん富士に登ろうといふことになった、さうすると大正十一年七月いよいよ登山といふことに決まると、我も我もと同行を申出るものが、青年といはず老年といはず、女もあれば子供もあるといふやうな譯で、大分賑やかな申込があった(中略)
それから山登りの慣例として、俗にいふ『お山は晴天六根清淨』といふやうなことをいってみんな登る、然しそんな意義のないことを繰返してやって見たところで仕樣がないし、さればとて黙って登るのも工合が惡いから、矢張り歩調を揃へる上からも調子を取る必要がある、(中略)此の音頭取りは何をやらしたらよいかと勘考して見たが、「六根清淨」では工合が惡いから、それから吾輩の創意で「今此三界」の偈文を唱へることにした。
(後略)
『師子王』第三輯第八巻談叢篇(八)より