篤孝の心

2010年09月03日(金曜日)

 聖訓に曰く、「未来の父母をたすけざれば外典の聖賢は有名無実なり」と。未来の父母をたすくるとは父母の未来をたすくるの義なり。死せる父母を忘れざるの心、即ち生ける父母に篤き所以の心なり。ただに父母のみにあらず、兄弟も然なり児孫も然なり、六親眷属またみな然なり。親を親しむは孝の横なり、父母に厚うするは孝の縦なり。敬愛百行の道ただ一の孝に収まる。大いなるかな孝。しかもその生においてするよりも、その亡においてするにおよびて、大いよいよ大なり。至れるかな孝。追善の仏事、追福の作善、人心誠を尽くし法界の大孝を暢ぶることを得るは、真に仏教の賜物なり矣。
                                       恩師田中智學先生『人生の霊化』より(抜粋)

 恩師田中智學先生は、九歳で母親を亡くされ、その翌年十歳の時に父親を亡くしておられます。幼くして無常の風にふかれ、両親を失った恩師田中智學先生は、お兄様方が相談の結果、両親の菩提の為にも仏門に入れるのが一番よいということになり、今現在国柱会本部のある一之江の日蓮宗妙覚寺智境院日進上人の弟子として仏門に入られました。
 それから御帰寂されるまで、仏教の教えを広める事だけに専念され、多くの事業を興されました。それら全てがご両親、乃至は、ご先祖様へのご供養となったものと理解されます。恩師の構想を受け継ぎ、田中香浦先生が、仏教を伝えてくれた地百済に仏教伝来謝恩碑を建立されたのも「篤孝の心」より出でたものと言えます。
 今月23日には秋のお彼岸を迎えますが、この大供養会には、我々も「篤孝の心」でもって、ご一緒に心を込めた祈りを捧げましょう。

国柱会賽主 田中壮谷




真世界巻頭言


ページの先頭へ