夜明け前

2008年05月02日(金曜日)

一日のうちで、夜が明ける寸前が一番暗いと言うことを聞いています。私も海岸にて何度か経験がありますが、本当に暗さが一段と増した瞬間、パット明るくなります。

この事は人生にも喩えられると思います。人生において絶望の淵に立たされながら、何かのきっかけで、光を得て立ち直ることができた経験は、どなたも一度や二度経験されたことと思います。このような場合、誰かのほんの些細なチョットした手助けが好転に導いてくれることが多いと思います。この様な経験を生かせ、これから困難に立ち向かって行かなければならない次代の人々に、人生の助けとなるよう手を差し伸べて頂きたいと願いながら、今原稿を書いているところです。

最近、しばしば若い人々の自殺が報じられています。先日は、警察官が未然に防げたケースが新聞に掲載されていてうれしく思いましたが、そこまで大事に到る前になんらかの兆しをつかめなかったものかと悔やまれます。私達も、そのような兆しがいち早くキャッチできるように心を磨きましょう。

私自身もそうですが、未来の展望と題して、往々にして、お釈迦様や大聖人のことばを借りて立前としての綺麗事を並べて終わってしまうことが多いですが、現実の社会でどれだけ役に立つのだろうか?果たして今の現実社会に必要な良薬は何か?と言うことを考える必要があります。宗教離れの昨今を憂いた所で何も始まりません。元気が無く魅力を感じられないから人が集まらないのであり、いかにすれば魅力を感じて貰えるのかをもっと考えなくてはいけない時が来ていると思います。お釈迦様の教えを、その根本を変えずに、時代にあわせて如何に展開し、如何に行動していくかを真剣に考え、即実行していかなければなりません。教化の対象者が一向に変わらないと愚癡を聞くことが多々ありますが、変わらなくてはいけないのは我々なのだと言うことを認識する必要があります。

いつ死するか知れぬ身と向かいあって、世の中に、生きた仏教の教えを弘めないことには、何の意味もありません。憂いていても始まらない、現代にこそ、世界が、仏教の教えによって蘇生しなければならないと感じているのは、私だけではないと思います。人生いかに生きるかという哲学の基盤をなすもの、そして、悩み多い現実の世界に希望をもたらすもの、それが即ち大聖人の教えだと思います。いつまでも時世の勢に煽られて窮するものではなく、護法の為に各々が自らのポテンシャルを最高に高め、世界の救済活動に貢献する覚悟を固めるべき時だと思います。信仰を共にする我々同志にとって、今は真っ暗闇の状況ですが、そのどん底の真っ暗闇に光りが射すのはもう少しであります。共に精進いたしましょう。




真世界巻頭言


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