母の遺骨納鎮を了して

2008年05月24日(土曜日)

去る四月五日、国柱会日課国祷正中法座に併修して、母の遺骨納鎮の義を執り行い、妙宗大霊廟に納めることができました。これも皆様方はじめ多くの方々の支えがあったからこそと感謝致しております。またその際に、お志をおよせくださいました皆様に誌面を借りて厚く御礼を申し上げます。誠に有り難う御座いました。

納鎮の当日は、申孝園の桜も満開で、母にはとても綺麗な桜の花をみせることができました。当日は、母の追悼もさることながら、地球全体の平和をお祈りしました。こうして先祖をお祀りできたのも国が平和であるからこそであり、グローバルな世の中では自己や自国の安泰のみを願ってはおれません。日々の正中法座においても、まず世界全体の平和を祈り、その祈りとともに、先亡諸霊位の菩提増進を祈っております。この事が我々が日課とする国祷正中法座でございます。

妙宗大霊廟が創建されて八十年を迎えました。私は常に感じます。毎月第三日曜日に開式される妙宗大霊廟例月供養会には、その日に納鎮される一霊位、一霊位毎が、自分に呼びかけている思いがして、いつも噛み締めて奏白を奏しております。諸霊位の菩提増進は、今後の我々自身の行動にかかっているのであり、責任の重さにプレッシャーを感じることもありますが、このプレッシャーをバネにして、つねに向上して行かなくてはいけないと言い聞かせ、今身より仏身に至るまでよく持ち奉りますと正境大本尊と妙宗大霊廟の三万霊位の方々にお誓いを申し上げています。

母とは、直接言葉で話すことがもはや出来なくなってしましましたが、自分自身の誓いを祈りに変えて、毎日、御宝前で母に語りかけています。この祈りは、決して一方通行ではなく、今もいろいろと母から教えられている思いがして、一生懸命祈っております。母は、亡くなる少し前に、妙宗大霊廟に入ったら、色々な方々が会いに来て下さるから決して寂しく無い、と言い、私の知らない方もお参りにきて下さるから楽しみだ、とも言っておりました。その時、「顛倒して悲しみ且つ嘆く。即ち是れ徒労の涙なり」、「須く仮を転じて真にいるべし」という教訣の言葉が頭に浮かびました。息を引き取る寸前は、既に仏身になって、私に教えて下さったのだと今になって改めて感じいりました。常寂光土の母も、今も心配が絶えないと思いますが、これだけ多くの方々に支えている今の私をみて、きっと感謝の気持で満たされ、安心している事と思います。

妙宗大霊廟創建八十周年の年に無事に母を納鎮する事ができましたことを喜んでおります。多くの皆様方、本当に有り難う御座いました。




真世界巻頭言


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