北原白秋(きたはらはくしゅう)

北原白秋は、田中智学先生の門下河野桐谷講師と早大時代の学友であった関係から、先生との縁を結んだ。国醇会のメンバーの1人であった。菊子夫人は、白秋と結婚前、田中智学先生の側近に仕えた人で、生涯本会の会員であった。白秋には三保の最勝閣を詠じた、長歌並びに反歌がある。

最勝閣に詣でて詠める長歌並に反歌、

風早の三保の浦廻、貝島のこの高殿は、天そそる不二をふりさけ、清見潟みち干の潮に、朝日さし夕日照り添ふ、この殿に詣でて見れば、あなかしこ小松むら生ひ、辺につ寄る玉藻いろくづ、たまたまは棹さす小舟、海苔粗朶の間に隠らふ、この殿や国の鎮めと、御仏の法の護りと言よさし築かしし殿、星月夜夜空の隈も、御庇のいや高々に、鐸の音のいやさやさやに、いなのめの光近しと、横雲のさわたる雲を、ほのぼのと聳え鎮もる、閑けくも畏き相、畏くも安けき此の土、この殿の、高き薨のあやにすがしも

反歌

この殿はうべもかしこししろたへの不二の高嶺をゆたかにぞ見る

この歌の他に、白秋は次の短歌も残している。

大船の心たのめて三保が崎君が御殿に参ゐ出来にけり 天そそる不二をまともに我が見るとこの高殿に参ゐのぼり見る

昭和3年の御大典に際し、田中智学先生は天盃一組の恩賜を忝うし、文部省からは、

多年社会教育ニ尽瘁シ其ノ効績顕著ナリ仍テ大礼ヲ行ハセラルニ方リ之ヲ表彰ス

という表彰状を授与された。また、このとき警視総監から消防の改善発達並に後援に努めたということで、表彰があった。その年12月16日、門下会下の発起で、「天盃恩賜」祝賀会が開かれたが、その翌日、高村光雲、市嶋春城、香取秀真、吉川霊華、高須芳次郎、北原白秋等の発起で、白秋の世田谷の新居で、国醇会としての祝賀会が開催された。


天盃下賜祝賀会(於、北原白秋氏邸)


国醇会の妙宗大霊廟見学(於、一之江)



田中智学先生に影響を受けた人々


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