中里介山(なかざとかいざん)

大河小説『大菩薩峠』で天下に名をなした中里介山も、田中智学先生に敬意をもって親炙した1人である。

この小説に対する文芸評論家の批評には一顧だにしなかった彼が、『天業民報』から、後に毎日新聞の社内報に掲載された先生の批評には、ほとほと心服し、表敬のため鶯谷の国柱会館に初めて先生を訪ねてきた。そのとき介山は、 先生の面前で、約30年前の『妙宗』に発表された「五月瓦石の雨」という先生の文章を、全文朗々と暗誦してみせた。これにはさすがの先生も驚かれた。介山の若き日、当時の全国の鉄道駅に施本されていた『妙宗』を一読して大いに感動し、暗誦したという。 ともあれ、これが縁となって、先生の勧誘にもとづき、『大菩薩峠』を劇化することになったが、その点でも、先生の指導を仰いだのである。のち一之江の夏期講習会で、介山は科外講師として、「日本刀」について講じたこともある。



田中智学先生に影響を受けた人々


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