山本鼎(やまもとかなえ)

愛知県岡崎の出身。明治39年、東京美術学校洋画科卒、同44年フランスに留学、翌年ロシアを経て帰国し、日本美術院展に「サーニヤ」「自画像」などを出品して認められた。その後、農民芸術運動などを起こし、創作版画を唱えて現代版画の育成に尽くした功績は大きい。

国柱会に入会したのは、田中智学先生の門下で叔父にあたる保坂智宙講師のすすめによるもの。大正10年6月創刊の雑誌『開顕』の表紙画を描いている。家子夫人は北原白秋の令妹で、国柱会の信仰あつく、夫妻ともに妙宗大霊廟に鎮っている。

現代の詩人として著名な令息の山本太郎氏は、昭和43年の国柱会本部本部講堂落慶・妙宗大霊廟創建40周年記念大会に際し、「霊廟讃歌」を献詩した。「真世界の歌」も氏の作詩による。



田中智学先生に影響を受けた人々


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