伊豆御法難750年に当たって

2010年05月07日(金曜日)


5月12日は、日蓮聖人が伊豆において御法難にあわれた750回目の記念日です。この御法難は、弘長元年(西暦1261年)、大聖人が御年40歳の時におこりました。この時をさかのぼる8年前の建長5年4月28日に大法を開宣された大聖人は、鎌倉に進出し、法華経こそ人類救済の正法であると、小町の辻で街頭布教を展開されました。その結果幕府によって流罪を申しわたされ、伊豆伊東の一角の俎岩と呼ばれていた岩礁に置き去りにされました。これが法華経勧持品の「数々見檳出」の経文を、身をもって読まれる第一歩となりました。流罪というよりもむしろ死罪といってよいこの御法難では、土地の漁師弥三郎によって救われました。ちょうど漁からの帰りであった弥三郎は、岩礁の上の大聖人をお助けし、その後も夫婦で献身的なお給仕を捧げたのです。
 私達は、毎年5月12日に伊豆法難会を記念して法要を行いますが、その際に導師が読み上げる回向文のなかで、伊豆御法難の意義が分かり易く述べられています。ご参考までに、回向文の解説を御紹介したいと思います。

 一心に御本尊に帰依し、お題目を唱え、法華経を拝読し、大聖人の伊豆御法難を記念する法要を厳修し奉ります。大聖人の御一生は、本化菩薩のふかい御鑑識によって、時や機に相応して本仏よりゆずられた使命を秘めて、折伏の教化を布かれました。その為に末法五濁、三類の強敵の紛起する弘長元年五月十二日に、鎌倉幕府は大聖人を伊豆伊東にお流ししました。すでにお経文に予言された「杖木瓦石の難」にあわれ、今また「塔寺を遠離せらる」の御文を身に読まれたのであります。御法難により、たとえようのない危難と艱苦にあわれましたが、天は大聖人をお助けし、重要な法門が説き出され、総付嘱を示す立像釈尊の仏体を感得されました。諸神の加護があらわれ、幕府は流罪を赦したので、再び折伏大化の活動を開始され、大法展開の基がつくられました。この大慈悲を永久に報ぜんために、われらは遺訓をまもり、御事業を継承して、その一端に酬い奉らんと念じております。何とぞ大聖人の御霊がわれら幼稚の修行者を加被し、折伏行に力をお与え下され、弘宣流布の大願を全うできますように、願い上げ奉ります。
 
伊豆法難の御聖日を迎えるに当たって、いかなる困難が来ようとも、「我不愛身命、但惜無上道」の金文を心に刻み、大聖人の誓願を自分のものとして受け取り、護法、広宣流布の活動に精進することを誓いましょう。
また、大聖人伊豆御法難750年に因んで、来月には、大聖人のゆかりの地である小町の辻説法ご霊蹟荘厳護持のための事業を行います。同志の限りないご理解とご協力を心よりお願い申し上げます。 

国柱会賽主 田中壮谷




真世界巻頭言


ページの先頭へ